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催眠療法コラム

リストカットをする意味

身近に手首にいつも包帯やリストバンドを巻いている女性がいたりはしませんか?
それはひょっとするとリストカットが習慣になってしまっている人なのかも入れません。
傍から見ると痛々しく、そんなに自分を傷つけないで!と思われるかも知れませんね。
一般的には自殺未遂?かのように思われてしまうリストカット。
本人もなんでリストカットしてしまうのかわからないと言う方もおられるのですが、
今回はそのリストカットをしてしまう心情的な意味合いに関して書いてみます。

臨床の現場でよくお見受けするケースとしては、
●本当の自分を押し殺しながら人に合わせて生きているので、リストカットをした瞬間だけ生きている実感がする
●血が出たり痛みを感じることで、生きることの生々しさを感じ取ることが出来る
●本当の心の痛みを感じたくないから、身体の痛みで代償する…
といったケースが多いようです。

ご本人なりに生きている事の辛さや現実との折り合いを付けるためのバランスを、どうにか取るための手段だったりするのですね。
見ると痛々しいので、もちろん他の手段でどうにかバランスを取って欲しいと率直に思うのですが、
何かしらリストカットするメリットもあったりするわけですから、無闇にその行為だけに対して「止めなさい」とも言えなかったりするものです。
根っこにある生きづらさへのケアが必要です。

また、中には
自分に罰を与える=自らを傷つけることで罪悪感を解消する
と言うような意味合いが無意識的にもある場合もあるようです。

若い女性に多いことをかんがみると、親子関係に元々の問題があるケースが多いように思います。

素直に感情や欲求を感じられなかったりする心理

自分の感情や欲求が頭に浮かんでいるのに体が反対になったり、
自分の感情をおさえてしまい、思う様に出来る事でも失敗する。

心が萎縮している状態だとそのようになりがちです。
心が重いと感じられるかも知れません。

恐らく「自分を出してはいけない」「自分より他人を重んじるべきである」などのスキーマ(考え方の癖)が無意識の中にあり、それに縛られながら生きざるを得ない状態なのでしょう。
フロイトの精神分析的には親などの躾や道徳心、倫理観などが刷り込まれた教えを守ろうとするのが「超自我と」と言います。
自分の快楽や欲求を感じ、その通りにやりたいと思う部分を「エス」と言います。
規律に厳しい超自我と、思い通りにやりたいエスの間で、調整役としてバランスを取ろうとして現実的な行動の判断をするのが「自我」の役目です。
心が重いのは、さまざまなスキーマ(超自我的な構え)に縛られ、感情の流れが滞ってしまっているからでしょうから、先ずは安心して気持ちを表現出来る人間関係が持てるかどうかが鍵になるように思います。
逆に言えば家庭でも安心して思ったことを言えなかったのかも知れませんね。
安心して感情表現する機会が増えてくると、良い循環で益々素直でありのままの感情や欲求が意識の上でも感じられ浮かんでくるものです。

キレそうな時の対処法

日常的に神経が興奮していて、ちょっとした事ですぐにキレてしまうようでは、人間関係にも差し障るでしょうし、なにしろ自分の精神衛生上も良い事ではありません。
キレてしまった後で、とても自己嫌悪になってしまう方もおられるので、悪循環になってしまいます。

かといって、自分ではなかなか制御できなくてお困りの方もおられ、お薬でも飲んだ方が良いのではと質問される事もあるものです。

精神安定剤についてですが、
●神経の興奮を沈め、不安が低くなり、ホッとする作用
●眠くなる作用
●身心の緊張をほぐす作用
があります。
薬の違いによって、それらの効果の強さのバランスが異なるようです。
なので、その薬によってどの薬が自分に合うか、副作用も異なり、一概には言えません。
またお医者さん以外の人が述べるのも、あまり適切とも思えませんので、ぜひお医者さんで、お聞きしてください。
お医者さんでも一発で、合う薬を選ぶのはなかなか難しい様なので、診察の時に様子を伺いながら、違う薬を試していく事もあります。

気持ちを落ち着けたりできれば、ある程度キレる事も減るかと思います。
しかしキレ方の度合いや頻度が強い場合、根本的には、相手への気持ちの伝え方や、自分の考え方、こうあるべき、と言った信念などを見直し、変えていく必要はあるかも知れませんね。
欲求不満を、人にに話すことで、不思議とすっきりするものです。
愚痴などは典型で、とても浄化作用がある大切な発散法です。
愚痴など言ってはいけないと言う観念をお持ちの方もおられたりするのですが、もちろん無理して言う必要はありませんが、けして情けない行為などではありません。
気持ちのバランスを取るためには時には必要だと思います。
話を否定せずに聴いてくれるカウンセラーであれば、尚のこと気持ちがスッキリすると思います。

人に対してキレる要因

駅の構内などで、普段の鬱憤を晴らすようにわざと女性を狙って体当たりして来る男性がいることがネットでも話題になりました。
そこまで酷くないにしても、私も満員電車などで、ちょっと体が押されてぶつかっただけでにらまれてしまうようなことが良くあります。
満員電車なのでお互い様なのですが、にらんでくる人に限ってその人の方が大きなバックやリュックを持っていたりして、自分の方に原因があったりするのですが、自分も悪いとは思わないようです。

今回は「人に対してキレる要因」を考えてみました。
キレてしまう原因は、私の感じでは、
1.自分の欲求や、感情を言葉で相手に伝える事が苦手で、欲求不満になり、積もり積もって爆発してしまう。

2.「言わなくてもわかってくれるのが当たり前」、と言う気持ちが強いが、大抵、相手はわかってなどくれないので、「なんでわからないんだ!!」と怒りが爆発する。

3.普段から、ストレスを発散できていないので、イライラが溜まっており、ついにキレてしまう。

4.躁鬱的な気分の変調があり、躁の時などに、テンションがあがって感情を爆発させてしまう。

5.本当は自分に自信がないので、ちょっと意見が違ったりしただけで、過剰に相手を攻撃して、相手を支配して、自分を守ろうとしてしまう。

6.相手と価値観や考え方に違いがあり、理性的な話し合いでは問題が解決せず、最終的には感情的になり、キレてしまう。

7.性格や脳の機能として、我慢の限界が低く、すぐに満足したい気持ちが強い。

8.逆に、普段色々な事を過剰に我慢して生活しているので、むしろ些細な事の方が「こんな小さな事さえ思い通りにはしてくれないのか!」と怒りが爆発してしまう。

などなど様々な事が背景にあるように思います。このように一言「キレる原因」を考えただけでも、本当に人それぞれだと思います。

身近な人が些細なことでキレてしまうことも良くあることです。
夫婦喧嘩などは大抵が些細な事で始まるものです。
しかし、カウンセリングの中でクライアントさんのお話を聴くと、8のような要因で、普段我慢に我慢を重ねた結果、些細なことであればあるほど「こんなちょっとした事でさえも気遣ってもらえず、もう我慢の限界だ!」とキレてしまわれる事も多いようです。
キレられた方は「何でこんな事で怒るの?おかしいんじゃないの?!」と思われるような場合でも、実際は積もり積もった怒りの積み重ねがあり、その結果爆発しているのですから、キレられた方にも過去からの原因があるわけです。
些細な事と流してしまうのではなく、少し自分の今までのことを振り返って反省してみる必要もあるかも知れませんね。

外で近所の知り合いに出合うのが怖い。集団が怖い。

精神医学的には社会不安症的傾向が高い状態と言えるでしょう。
そのような気持ちになる人は、子供でも大人でも結構多いです。
後で自分ことを何か言われてるのではと不安に思われてしまうようです。
なかなか人に相談しても、そうした恐怖感や不安感は理解してもらえず、お一人で悩んでしまわれる傾向があります。

実際、よく知らない相手の事や、集団になると、他人のことを面白おかしく噂してしまう様な事もあり得るわけですから、あなたがそんな場面を避けたい気持ちを抱くのも、無理のないことかと思います。
ネットでのいじめやSNSなどで炎上騒ぎが起きますが、そうした身も知らない人たちから攻撃を受けてしまったり、そうした社会風潮があるだけでも、不安感は無意識的にも高まってしまう事でしょう。

人一倍感受性が豊かな方や、思春期の、自分と他人の距離感がまだつかめない年頃の方などに、その様な傾向が強いようです。
特に地方の、隣近所がみんな見知った人ばかりだったりすると、余計他人の目を気にして、自由きままに振舞えない環境だったりします。

通常は、成長するにつれ、「私は何もおかしなことはしていない。これが私のやり方・感じ方であって、これで良いのだ」と言うような自信が付いてくると、さほど「人を避けたい」と思わなくなってきたり、「避けたくなるのも無理もないから別に避けたって良い」、と楽に思えるようになって来るものかと思います。

「避けたいなぁ。嫌だなぁ。」という気持ちを抱きつつも、それが素直な気持ちなんだから、それで良いと自分に言い聞かせ、あいさつだけしてさっさとすれ違って済ませられてみることで、段々気持ちが楽になってこられるかと思います。

過去の事の後悔ばかり考えてしまう人へ

過去を全く後悔せずに生きられる人の方が少ないと思います。
その意味では後悔してしまう事も普通です。

ただ過去に囚われ、後悔することだけで一生を生きてしまう人もいますから、それはあまりにも勿体無く思います。

十分後悔しながら、人生の学びや過去を諦めるプロセスを歩めるのならば、今のあなたに大賛成なのですが、過去に囚われ、今の現実を生きることから逃げることに後悔を使ってしまうのであれば、ちょっと考えなければいけないかも知れません。

今、満ち足りた生活が出来ないのは、過去のあのことがあったから、、、。
その様な思いに捕らわれ、先に進めないでいるようであれば要注意です。

過去の事ばかりを悔やむ今を、未来のあなたが悔やむことになりかねませんから…。

ご自分が今どのような意味で過去を後悔しているのか…少しご自分の真の姿と向き合ってみませんか?

自分を大きく見せようとしてしまう心理

自分の能力を、実力以上にあるようにアピールする人達がいます。
自分がしたミスでも人のせいにして、自分は間違っていないと言い、現実を認めようとしない人がいます。

そうした傾向がある方々は自分の理想像が高いのだと思われます。

自己イメージを下げられない人たちは、実は無意識の中に強い劣等感コンプレックスを持つために、自己肥大を起こし、自己愛を守ろうとしているからだと考えられています。

自己矮小と自己肥大の両極を揺れながら、ギリギリのバランスを取っているため、自分が如何に大きいかを表現し続けないと、常に劣等感に苛まされる=自己愛が損なわれる危険性があるわけです。

そのような方たちは、当然関わる他者の評価をどんどん下げて行ってしまいますから、余計無意識にある劣等感コンプレックスを刺激し、頑なに肥大した自己イメージにしがみつこうとしてしまう…という悪循環を招きます。

外からは「変な人」「幼稚な人」にしか見えない彼ら彼女たちも、実は無意識的にはとても苦しんでいる人たちなのです。

年齢がまだ若い中学生などでも同じような傾向が見られることがあります。
中学生がそうなってしまいがちなのは、まだ完全な精神的自立が出来ず、親との一体感から来る万能感を払拭できないことと、「井の中の蛙大海を知らず」の諺の通り、現実の自分を知る機会が少ないことがその大まかな理由です。

しかし、大人になっても現実の自分を認められないとなると、社会の中で生き辛さを抱えたまま生活する事になってしまうので、どこかの時点で認められるようになれたら、その方が楽になれるのではないかと思います。

人を殺す夢の意味する事

何度か夢の分析について書いておりますが、今回は悪夢の中でも「人を殺す夢」についてです。

夢分析とは、見る夢そのものに絶対的な共通の意味を求めるものではありません。
同じ「殺される夢」でも、現実にその方がどんな問題を抱えているか、心理発達上どんなテーマが隠されているかなどによって、人それぞれその意味合いが全く違って来るものです。

例えば同じ「人を殺す夢」を見たとします。

Aさんはいつもニコニコ笑いながら、例え人から傷つけられても、自分の攻撃性を抑圧しながら調和を重んじる生活をしていたとしたら、その抑圧している攻撃性を昇華するために夢の中で人を殺す場面が出て来た可能性があります。

Bさんは依存と自立の葛藤があり、依存の対象を象徴的に殺さないと自立出来ないと無意識に感じていて、親から距離をとる意味でそのような夢を見たのかも知れません。

Cさんは、昨晩見た映画のワンシーンのインパクトが強く、それによって無意識の中にある破壊衝動が刺激されて、人を殺す夢として出て来たのかも知れません。

これはあくまでも例ですが、そのようにその夢を見る人のお話をカウンセリングの中でじっくり聴いて行かないと、その方にとっての真実の意味を見出すことは出来ないのです。
「殺される夢」もまた然りです。

カウンセリングを受ける前の準備

初めて受けるカウンセリングでしょうから、何となく緊張しますよね。その前に何か出来る準備をしておきたい…そのように思われるお気持ち、良く解ります。

しかしながら正直に申しますと、心理カウンセラーというものは、カウンセラーからクライアントさんに
「こういう心構えで来て欲しい」とか
「こういうポイントを大切に受けて欲しい」
といった希望は極力持たないようにと訓練されているのです。

それは、それを我々が持ってしまうと、クライアントさんにカウンセラー側から条件をつけてしまうことになり、ややもするとクライアントさんの主体性を損ない、カウンセリングそのものの妨げになってしまう可能性もあるからです。

カウンセリングの成功に必要なカウンセラー側の条件として、
「クライアントに対する無条件の共感的理解」
なるものがあります。
最初から「こうした方がいい」とカウンセラー側から条件をつけてしまうということは、カウンセリングそのものを自ら放棄しているようなものなのです。

「言いたいことをメモ書きにして…」ということも、カウンセラー側からすれば
「して来られても、しないで来られてもどちらでも良い」となります。
確かに言いたいことを言い忘れることは、クライアントさん側からすればあまり気持ちの良いことではないでしょうから、そうしても下さっても構わないのですが、カウンセラー側からみると「言い忘れる」ことが、そのクライアントさんをより深く理解する一助にもなって行くからです。

その意味で、準備をすることもしないことも、心構えを持つことも持たないことも、その日の気持ちで変えることも、あなたの自由であることを頭の片隅においてカウンセリングに臨んで下さい。

カウンセリングを受けることで、少しでも気分の変調が穏やかになることをお祈りしています。

何をやるのも恥ずかしく感じてしまう

恥ずかしい…私がここにいてごめんなさい…
そんな気持ちを日常持っておられる方は、恐らく緊張の毎日でしょうから、相当辛い思いをされています。

太宰治の人間失格に出てくる有名なフレーズ
「生まれてきて、ごめんなさい」
そんな恥ずかしいような申し訳ないような気持ち。

だから、なるべく恥を晒さないように、人に迷惑をかけないように、極力何もしないで、目立たぬように、隠れて生きて生きたい。
そんな思いで、自分を殺してしまっておられる方がおられます。

きっとそんな方の性格形成の過程には、様々な物語がおありになったのでしょう。

意識されているのは、存在自体が「恥ずかしい」=「人に知られたくない」お気持ちでしょうが、実はあなたの無意識の中には「誰かに知って欲しい」「分かって欲しい」気持ちもあるのではないでしょうか。

しかし、その思いさえも「恥ずかしい」ので、抑圧されて意識化出来ないのかも知れません。

その「私を分かって欲しい」もう一人のご自分の心に気づかれた時、そして素直にそのお気持ちを生きられた時…「知られたくない」防衛が緩んで、存在そのものを恥じる必要がなくなってくるものと思います。

心の奥底に押しやっていた、もう一つのご自分の真実にスポットライトを当ててあげること…それが今後、必要以上にご自分を恥じずに生きるための鍵となるように思います。

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